第28話 秘密の特訓







  部活終わりの体育館。バスケ部員達が練習に励んでいた時の活気は消え失せ、閑散としたそこに俺と七井さんはいた。一旦はバレないように周りと一緒に帰る振 りをしたが、またもう1度ここに戻って来たのだ。そこまでする必要があるのだろうかとも思ったが、七井さんはどうしても内密にしたいとの事らしい。

「そろそろ始めよっか〜」
「そうですね」

 静まり返る体育館に響く七井さんと俺の声。廃墟並みの建物であっても、2人だけだとかなり広く感じる。

「よろしくね〜コーチ」
「は、はぁ……」

 よろしくと言われても、俺は今までバスケを他人に教えた経験など無い。中学時代も、後輩への指導という役割の大半を修が器用に担っていた。初心者でも、あいつが教えればあっという間に形になっていくのだから凄い。
 とにかく教える云々というよりも、まずは七井さんの実力を見たい。となれば、やはり1on1でもするのが妥当である。

「とりあえず、1on1でもしましょうか」
「は〜い」

 はい、元気にお返事出来ましたね。と思わず言いたくなるような相槌に、少しばかり頬が緩む俺。これがこの人の魅力なのだろうか。






 先攻は七井さん。お世辞にも運動が得意だとは思えない独特の雰囲気に、俺は少しばかり気を抜いて構えていた。
 だが、一気に動き始めたゲームの中で七井さんが見せたのは、俺の想像とは異なった軽い身のこなし。瞬く間に詰まる距離の中で、不意に見せた滑らかなバックロール。
 完全に意表を突かれた俺は、慌ててボールに向けて手を伸ばした。が、既に遅くて――

「いぇ〜い」

 振り向いた先でピースサインをする七井さん。リングを潜ったボールを手に、ニカっと笑っていた。
 あっという間の出来事。写真のようにカット毎のシーンでしか知覚出来ていない。俺はポカンと七井さんを見つめるだけだった。

「次は加住くんだよ〜」
「え、あ、はい」

 気の抜けた返事と共に、七井さんからボールを受け取る。
 予想していなかった七井さんの動きに若干動揺しながらも、気が抜けていた所為だと思って俺は密かに拳を握った。



 俺がリングへ向けてドリブルを開始すると、七井さんの執拗なディフェンスがそれを阻んだ。
 上手くかわせない。おそらく160を超える七井さんの身長。それでもまだ俺の方が高いが、どこか威圧されている俺の目にはその身長以上に七井さんが大きく見えた。
 それでも何とかリングへと詰め寄る中、上にも横にも伸びる七井さんの手を掻い潜って咄嗟に後ろへ飛びながらシュートを放った。つまり、フェイダウェイ。
 放物線を描くボール。若干無理はあったが、リングへ激しく当たりながらも何とかボールは吸い込まれていった。

「悔しい〜! 次、ね?」

 胸を撫で下ろしながらボールを拾いに行くが、無邪気に悔しがる七井さんを見て自然と頬が緩む。七井さんのコーチ、そしてこの1on1は実力を測る為の名 目だという事を思い出して思わず苦笑する。もう少し肩の力を抜くべきだと感じながら、目の前の先輩と再び対峙するのであった。






 ゲームが進行していく中で、得点に表れる実力の差。2−6という展開に俺は焦っていた。勝敗は関係ない。だけど、これではどちらがコーチを頼んだのか分からない。
 肩で息をしながら七井さんを見つめ、なぜこんな事を俺に頼んできたのかますます理解に苦しむ。

「七井さん、ちょっといいですか?」
「どうしたのー?」
「他にもっと適任な奴がいたと思うんですけど……」

 事実、我がバスケ部には上手い連中が多い。しかも、女子バスケ部はかなりの実力だと望くん先生も言っていた。だとすれば、その中でピンポイントに俺が選 ばれた理由が分からない。それこそ、色んなオプションを備える王子様にでも頼んだ方が良いと思う。というか、俺が女子ならそうする。

「う〜ん……他の人じゃダメなんだよね〜。どうせなら、とびっきり上手い人に教えて欲しかったから」

 随分とまぁ、買い被られているようである。大方、カシワとの1on1を見てそう思ったのだろうか。しかし、俺は過去に森下部長に負けている。しかも大差で。
 俺はその事を告げる為に口を開こうとしたが、その前に七井さんに制され、彼女は真剣な面持ちで俺を見据えた。

「とにかく、もう少し続けよ?」

 俺は驚いた表情を浮かべ、力無く頷く。考えが顔に出ていたのかと、少し恥ずかしくもなった。

「ただ、ここからはもっと真剣に……ね?」

 そう付け加えられて何を今さらと思ったが、七井さんの表情を見て冗談ではないと悟った。これだけの差をつけて、彼女はまだ手を抜いていたという事なのだ ろうか。少なくとも、自分は一生懸命やってきたつもりだ。最初こそ気を抜いていた事は認めるが、それ以降は気持ちを切り替えた。
 きっと、互いの士気を高める為に言ったのだろうと自分なりに納得し、俺は七井さんの正面に立った。



 オフェンスは七井さん。言葉の通り幾分か表情が引き締まって見えるが、俺は気のせいだと思い込んだ。
 これだけ翻弄されておいてさすがにそれだと自分の立場が無い。そう楽観的に考えて七井さんの様子に気を配った。

 ――しかし。

 一瞬、悪い冗談だと思った。
 七井さんが今まで見せたオフェンスよりも、純粋に速かったのだ。
 もう1度言っておくが、気を抜いていたのはあくまで最初だけ。ならば、目の前の彼女がこんなにもキレのある動きが出来るのはなぜか。
 額に滲む嫌な汗。俺は慌てて七井さんの前に立ちはだかって事なきを得たが、あとほんの僅かに判断が遅れていれば完全に抜き去られていた。
 そして、先ほど七井さんが言っていた『真剣』の意味がようやく理解出来たと同時に、自分の悪い癖が出てしまった事に気付く。
 毎度のように相手を見掛けで判断し、それで実力を決めつける悪い癖だ。相手がその気になって初めて自分の拙さに気付き、後悔する。高校に入ってからも何度か経験した。
 成長していない自分に自嘲するが、それに気付いた頃には既に遅かった。

 七井 玲さん。俺にコーチを頼むぐらいだからどれほど自信に欠けているのかと思っていたが、この人は決して下手な部類に入るような人じゃない。むしろ――

「クソ……」

 振り向き様に、リングを潜るボールの様子を呆然と見つめる。
 彼女を足止め出来たのは僅かな間だけだった。その後、あっさりとかわされた俺は成す術無く棒立ち。
 先日のカシワとの一戦。まぐれでも聖院から来た奴に勝利し、自信も持っていた。再戦すれば勝てる見込みは無いが、それでも逆境に屈せず逆転を果たした自分はそれなりの実力があるのだと思っていた。しかし、目の前の彼女にそんな俺の自信は打ち崩されてしまった。

「加住くん。1つだけいいかな?」

 依然として引き締まった表情でゆっくりと歩み寄って来る七井さんに、俺は声も出さずに頷く。

「教えてもらう側として言うのも何だけどね、加住くんはちょっと私を舐め過ぎかな」

 その後に呆れた表情を浮かべる七井さん。まさにその通りだと思いながら俺は俯き、七井さんから視線を逸らさざるを得なかった。
 完璧に見抜かれていた。コーチを頼まれた時点で七井さんが俺にどんな期待をしていたのかは知らないが、あの呆れた様子をみれば少なからず幻滅しているのも分かる。
 
 ……だけど、自分でも理解していた。ようやくさっきそこに気付いたのだ。

 俺は体育館中に響き渡るほどに思いっきり両手で自分の頬を叩いた。それを見て七井さんが驚いていたが、景気づけにもう1度叩いたやった。
 うん、俺は馬鹿だ。でも、このまま何もしない奴はもっと馬鹿だ。後悔で終わらせずに反省してこそ改善出来る。フフ、馬鹿も馬鹿なりに頑張ってみようじゃないか。
 頬がひりひりと痛いが、俺の胸中はもう晴れていた。七井さんに教えるどころか、逆に俺が教えられたようである。すっと背筋を伸ばして七井さんを見据えた。

「……七井さん、続きを」
「う、うん……」

 ほんのりと頬の紅い七井さんからボールを受け取る。
 ドリブルを始めた俺はついさっきまでの自分が嘘みたいに頭がクリアーになっていた。いちいちどう攻めようか思案しなくても分かる。自分のモノではないかのように軽やかな体が、自然と俺を突き動かしていた。
 同じだ。中学の時に出た練習試合。カシワとの1on1で体験したあの時と全く同じ感覚。
 なぜだろうか、止められる気がしない。自然と動く体は、今まで体にすり込めれてきた練習の賜物なのだろうか。
 七井さんが懸命に手を伸ばしてボールを奪おうとしているが、先ほどまで感じていた七井さんの動きからはかけ離れていて――遅く感じた。






「も、もうダメ……限界だよ〜……」
「ふぅ……お疲れ様です。それじゃ、今日はこれぐらいにしときましょうか」

 体育館の床に倒れ込む七井さんを横目に、俺はタオルで汗を拭っていた。
 何だか、あの不思議な感覚のお陰で普段よりも疲労が少なく感じた。いつの間にかあの感覚は途切れているが、あれも集中力からくる何かなのだろうか。
 人間って不思議な生き物だなぁ、とか思いながら、息を切らせて寝そべる七井さんの復活を待った。

 それから5分後。
 ゆっくりと体の起こす七井さんと目が合った。

「加住くん上手過ぎだよ〜、私自信無くしちゃった」
「いやでも、途中まではボロ負けでしたし」
「う〜ん……そうだけど、やっぱり藍田くんが言ってたことって本当だったんだね〜」
「え、修ですか……?」

 なぜにこのタイミングであいつの名前を? 俺の知らない間に周囲に何を吹き込みやがったのだろうか。……気になる。滅茶苦茶気になる。

「何を言われたんですか?」
「気にしない、気にしな〜い。それよりもさ、どうして途中からあんなに見違えたの〜?」

 おぉ、滅茶苦茶気になるのにあっさり流しちゃったよこの人! マイペースだなオイ!
 何事も無かったかのように違う疑問を口にする七井さん。ここまで華麗に流されれば話を戻すのも躊躇う。仕方ない、明日にでも修を問い詰めるしかないようである。

「いやー、自分でもよく分からないんですよね。急に体が軽くなって自然に動いたっていうか何ていうか……」
「え? 魔法?」

 そんなファンタジーな事を言う七井さんの表情は真剣そのものだ。物怖じせずに『魔法』という単語を繰り出せる七井さんは結構純粋な人なのかもしれない。

『魔法バスケット少年 カスミン』

 …………わ、笑えない。一瞬でもこんなキャッチフレーズが浮かんだ俺は一体どこへ向かいたいのだろうか。

「ち、違いますよ! 俺は普通の高校生ですから! ……でもまぁ、実際のところは自分でもよく分からないんですけどね。ハハハ」

 ただ、魔法ではないと言い切れる。それだけは断じて違う。魔法バスケット少年なんてダサすぎるぞ。

「そっかそっか〜加住くんは頭おかしいんだね〜」

 ちょっと! 貴女には言われたくなかった! 平然と魔法って言う貴女には!
 七井さんの中で、俺は早くもそんな位置付けになってしまったらしい。不名誉極まりない。

「おかしくないですから! 普通です! ふ、つ、う!」
「ぶっ!?」
「何でそこでふくの!? 笑いのツボがまったく掴めない!」
「ぶっはっはっはっはっ!」
「はぁ……」

 昼間を彷彿させる豪快な笑いに、大きな溜息を吐く俺。さすがにここまで爆笑されるともう突っ込む気にもなれない。あんなに大声かつ、お腹を抱えて笑っているのに怒る気にもなれないのはやっぱり七井さんが可愛いからなのだろうか。
 可愛い人、綺麗な人、格好良い人。何をしても絵になるのだから凄いと思う反面、せこい。

「ぶっはっはっは……はぁ、はぁ……」
「落ち着きました?」
「ご、ごめんね〜。……でも」

 そこで区切る七井さんに首を傾げる俺。肩で息をしながら笑いを静めていたついさっきとはまた違った表情をする七井さんに戸惑った。

「……でも、見違えてからの加住くん、凄く格好良かったよ」
「は、え、な? な?」

 恐ろしく動揺した。冗談混じりで言われれば笑って流せる話なのだが、七井さんが妙に優しく微笑むもんだから恥ずかしくて仕方なかった。普段から言われ慣れていたら少しはこの間抜けな動揺っぷりも和らいでいたかもしれないが、生憎と俺だ。平静でいられるはずもなかった。

「普段は可愛い顔してくるくせにどうしてあんな顔するかな〜」
「い、意味が分からないっす」
「まぁ、気にしないで〜」

 気のせいでなければ、七井さんの頬が少し赤らんでいるように見えた。それを見てさらに首を傾げる俺であったが、七井さんがそっぽを向いてしまって結局はよく分からなかった。

 ともあれ、少しの謎と俺の新たなキャッチフレーズが生まれた秘密の特訓初日はこうして終わりを迎えた。



 



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