第29話 フラれる純情少年
秘密の特訓から一夜明けた翌日の昼休み。
昼食をとった俺は、例のごとく屋上にいた。
今日も晴れ。
暑くもなってきたが、やっぱりここは食後の一時を過ごすのに申し分ない。
それに、まだ当分先とはいえ確実に近付いて来ている夏の微かな気配を感じ取れて心が騒ぐ。今年の夏は楽しい夏になるといいなー、なんて密かに思ったりもする。
去年の夏は楽しかった。同じバスケ部の友達と海に行ったり、自転車で琵琶湖まで行こうとしたりもした。
『海なんか俺には小さ過ぎる! やっぱ琵琶湖しかない!』
と、我ながら頭の悪い発言をした事は記憶に新しい。修は鼻で笑って一緒に来なかったが、俺並みに頭の愉快な連中が意気込んで参加してくれた。まぁ、結局は出発直後に豪雨に遭ってしまって断念したのだが。
そんな友達がいた中学時代。俺や修とは別の高校へ進んだ彼ら。
今年はせっかく新しい出会いがあったのだから、去年を上回る夏にしたい。
……でも今のこの状況を見れば、それも何だか先が思いやられる。
「ギャハハハ! お前、とんだ勘違い野郎じゃねぇか!」
「フッハッハ! お前もついにそこまで落ちたか」
「あっはっはっは! 何がラブレターよ、どうりでおかしいと思った! あの七井さんがあんたごときを好きになる訳ないもんね!」
「ぐぅ……俺ごときとはまた失礼な奴め」
俺を囲む、カシワ、修、佳苗。全員が腹を抱えて笑ってやがるのだ。
事の発端は例の手紙について。どんな告白を受けたのか? という質問を最初に投げ掛けてきたのは佳苗だった。
そして、それに便乗し始めた修、カシワ、桃ちゃん。興味津々といった感じで俺の話を聞き、真相を知って現在に至る。秘密の特訓については伏せたが、屋上に行った途端爆笑されたところは馬鹿正直に話してしまった。今さらながらに少し後悔している。
依然として修達が笑い転げる中、唯一その輪に入って来なかった桃ちゃん。やっぱり良い人なんだなぁ、と感心しながらおもむろにその姿を探した。
「――よしっ」
が、しかし。俺達の輪から少し外れた所で小さくガッツポーズを決める桃ちゃん。その姿はとても可愛らしかったが、現状では悪意があるようにしか見えなかった。
ナイスガッツポーズ! 他人の不幸を喜ぶなんて桃ちゃんは小悪魔さんだね!
俺なりに前向きに考えてみた。少し、というか、かなり無理があるのは言わない約束だ。
そんな桃ちゃんだが、俺がその小悪魔ガッツポーズを見ている事に気付くなり、慌てて悲しそうな表情に切り替えて歩み寄って来た。
「涼くん、残念だったね……」
この言葉だけ聞くと確かに同情してくれているようにも聞こえるが、残念ながら――
「桃ちゃん目が笑ってるから! しかもさっきのガッツポーズも見てたから!」
「……あはっ」
バレちゃった? みたいな顔で照れ始めた桃ちゃん。ガッツポーズを見られてるのに、この娘は本気で誤魔化せると思ったのだろうか。末恐ろしい。
そんな桃ちゃんを生温かい目で見つめ、依然として耳に入って来るイジメっ子達の笑い声で段々と逃げ出したくなってきた。
「お、お前達笑い過ぎだ! 俺が純情少年だって知らないのか!?」
「“通勤電車で快楽地獄”……そんなドエロい雑誌を嗜むお前が純情だと? フッ、笑わせる」
「ちょっ!? それ言っちゃ駄目だって! というか“嗜む”って言うな!」
修の思わぬ反撃に遭ってさっきよりも逃げ出したい衝動に駆られた。だがそんな俺の心を読んだのか、修がすかさず俺の腕を掴んで身動きを封じてきやがった。さすがは我が親友。全てお見通しのようである。
そして、その場から動けなくなった俺にさらなる悲劇が襲いかかった。
……心なしか女子達の視線が痛い。それまで仲良く弁当をつついていて、こちらには干渉してこなかった夢ちゃん達までもが俺を蔑む目で見ていたのだ。
「あんたサイテーね」
「ご、誤解なんだよ佳苗さん!」
「あ、私もこの前それ――」
「シャラァァァーップ!」
桃さん貴女何を言おうとしてるか分かってます!? あのエロ本絡みで嬉し恥ずかしのハプニング起きたでしょ!? 家であんな事があったなんてバレたら、俺もう死んじゃう!
「あんな事……? 何よそれ?」
お口の馬鹿ぁぁぁ! 自由すぎるっていうか緩すぎる!
修のあの一言を皮切りに、まさかこんな展開になるなんてこれっぽちも思わなかった。ふと修に意識を向けてみると――笑っていた。どこか楽しそうに。
あとで最大限のお礼を返すとして、今はどうにかこの状況切り抜けなくて はならない。万が一、2人っきりの家で桃ちゃんを押し倒したという事実が目の前のこいつらに知られ、しかもそこからさらに桃ちゃんに想いを寄せる数多の男 子達の耳に入りでもしたら、間違いなく加住 涼という人間はこの世を去るだろう。
自然と頬を伝う汗。下手な説明をすれば事態は悪化する。失敗は許されないのだ。
「いや、別に何も無いけど」
「ふぅ〜ん、隠すと為にならないわよ?」
「ひ、卑怯だぞ! 暴力反対!」
指をポキポキ鳴らしながら少し距離を詰める佳苗。卑怯だが、確かに口を割らせるには良い手段である。
今ここで佳苗の殺人拳を甘んじて受けるか、それとも正直に話して後日不特定多数の男子から時には直接的に、時には陰湿な間接的イジメを受けるか。
……どちらにせよ、向かう場所は同じだ。となれば、辛い事は早目に終わらせてしまう方が良い。
「黙秘権!」
「そんなの無いわよ!」
最後の抵抗も虚しく、佳苗はさらに強く拳を握った。自然と後退る俺。
「で、言うの? 言わないの?」
「い、言わな――」
「――佳苗!」
俺が覚悟を決めて佳苗という名の鬼に抗おうとしていた時、そこで不意に桃ちゃんが佳苗を呼んだ。
何事かと思い、2人して桃ちゃんの方へ視線を向ける俺と佳苗。すると、そこには異様に焦った桃ちゃんがいた。
「ほ、本当に何も無いんだよ? 本当に何も無いの! ほ、本当の本当に何も無いの!」
「…………」
「……なるほど、そんなに重大な何かがあったのね?」
隠すの下手くそぉぉぉ! 桃ちゃんワザとらしすぎる! バレバレじゃないか!
それは思わぬ伏兵の出現だった。ついさっきまで気付いていなかった桃ちゃんが、ようやくあのエロ本絡みで起こったハプニングを思い出したらしい。だから、桃ちゃんなりに隠そうとしたみたいなのだが、それが残念ながら裏目に出てしまった。
そんな桃ちゃんの自爆行為に本人は気付いていないらしく、佳苗が何かに勘付いたのを目の当たりにして「え、エスパー……」と呟いていた。彼女は結構幸せな人間なのかもしれない。
「ふふ、これはますます何があったのか聞きたいわね」
「……ぬぅ」
不味い……この状況は非常に不味い。好奇心旺盛の佳苗を止める術が見つからない。しかも、今気付いたのだがカシワも桃ちゃんに想いを寄せる数多い男子の内の1人である。もしここでカシワにもバレたら……や、殺られる。
さらにさらに、このまま思案している時間も危ない。自爆娘である桃ちゃんの存在が、俺に半端じゃないプレッシャーを掛けているのだ。彼女が喋り始めたらもう終わりである。
……仕方ない。最終手段だ。
「ぬぉぉぉ!? 幻聴っぽいけどチャイムが聞こえた! 早く教室に帰らねば! うぉ!? 桃ちゃんも聞こえたのか!? フフフ、皆の衆。そういう事で我々はお先に失礼する!」
「え? え?」
「――あっ、ちょっと! 逃げるな!」
もう1秒たりともここにいるのは危険と判断した俺は、桃ちゃんと共に屋上を後にするのであった。
「危なかった……」
勢い良く屋上を飛び出した俺達の後を、佳苗は追い掛けて来なかった。また後で会った時に色々と聞かれるだろうが、カシワのいたあの場よりは大分マシだ。
それにしても、まさか七井さんの手紙からあんな話へと流れるとは思わなかった。俺の慌てっぷりを見て笑みを溢していた王子様は後でグーだ。
「あれ〜? 加住くん?」
密かな決意を胸に特別棟の階段を下っていると、聞き覚えのある声に呼び止められて意識をそちらに向けた。
「あ、七井さん。こんにちは」
「やっほ〜。加住くんはデート中なのかな〜?」
一瞬、いきなりそんな突飛な事を言う七井さんの頭を疑った。しかし、彼女は素で魔法の存在を信じるファンタジーな頭の持ち主。何かまた大きな勘違いをしているであろう事はすぐに分かった。
「いや、ただ友達と普通に歩いてるだけなんですけど」
「え〜、それじゃキミはいつも女の子と手を繋ぎながら歩くの?」
「へ?」
何を馬鹿なことを……俺は普通にして――――ギャャャーー! しっかり繋いでるし! 何で気付かないんだよ! 俺の触覚もっとしっかりしやがれ!
俺はもしかして何か大きな障害を抱えているのだろうか。前にも1度こんな事があった気がする。
隣で俯いたまま何も言葉を発さない桃ちゃん。俯いたままでも、時折繋がっている手をチラチラと見ているのが分かった。
だが、桃ちゃんも気付いているなら教えて欲しかった。というか、無理にでも振り払ってくれれば良かったのに。
俺は慌てて繋いでいた手を名残惜しく思いながらも離した。
「あ、いや、これは事故っていうか何ていうか……無意識の内に」
「ふ〜ん、無意識の内に手を繋げるほど慣れてるんだね〜」
「ちょっと! 俺の顔見てから物言って下さいよ!」
「え〜? こう?」
違う! 俺の顔覗き込んでも意味無いから! こんなルックスで手を繋げる相手が見つかる訳ないって意味だよ!
七井さんはワザとやっているのだろうか。だとしたら、人をおちょくるセンスは修に匹敵する。
「違いますって! ちょ、桃ちゃんも何か言ってやって!」
「……えっ?」
そこでようやく顔を上げた桃ちゃん。だが、その顔は恐ろしく紅かった。
「うわ〜顔真っ赤だね。可愛い〜」
「あ、い、いえ……」
何事もなかったかのように今度は桃ちゃんに興味を持った七井さん。彼女は少しばかり自由な人間だと理解した。
それにしても、七井さんの言う通り顔を紅くする桃ちゃんが滅茶苦茶可愛かった。初めて見た時から可愛い人だと思っていたが、ここ最近はより強くそれを思う。
「キミは加住くんの彼女なのかな〜?」
「嫌っ! ち、違います! 止めてください!」
「ひ、酷い……」
桃ちゃん、本人が目の前にいるぞ? いやまぁ、否定するのは当たり前だけどここまで露骨に嫌がられると泣きたくなるよね。普段は優しい桃ちゃんがここまで拒絶するとは……そういった意味で俺は中々の猛者らしい。
「っ! ご、ごめんなさい!」
いきなり謝りながら逃走した桃ちゃん。なぜかフラれた気分だった。告白もしていないのにフラれる俺はついにその領域にまで達してしまったのだろうか。
「何か俺、フラれたみたいですね」
「みたいだね〜」
「七井さん」
「うん?」
「……泣いてもいいですか?」
「あはは〜、ドンマイ」
次に桃ちゃんと合わせる顔がないと感じた昼休みの一時だった。
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