第01話 喚ばれたのは次郎くん





「なるほど。つまり、ジローが夢だと思っていたものが、箱を開けてみれば実は現実だったと。そういうこと?」
「はい。間違いありません」

 半信半疑で次郎の話に耳を傾けていたルルフェは、それまでの話を要約して確かめた。
 それは次郎やルルフェにとって俄かには理解し難い話だった。昨晩眠りについた中で見た夢に首を突っ込んでみれば、それが見知らぬ現実と繋がっていたというのだから。
 当初、次郎はルルフェの住んでいる村の装いを見てタイムスリップでもしたのかと思っていたが、次郎の住んでいる日本。それどころか、海外諸国の名前を出してもルルフェは首を傾げるばかりだった。
 ルルフェ曰く、此処はレイラントという国の国境際。国境を越えた先はバイウェルンという国で、襲撃して来たあの盗賊達は其処の元兵士だと次郎は聞かされた。
 そんな中、次郎は“レイラント”や“バイウェルン”といった国の名前を引き出そうと努力してみるが、元々勉強に対する姿勢が褒められたものではない次郎 の頭では思い当たる所は無かった。そうなれば、いよいよ夢の可能性も高まりそうなものだが、先程のルルフェによるつねり攻撃がもたらした痛みがその可能性 をも捨て去ったのだった。

「じゃ、ジローは異世界人だね」
「異世界人?」
「うん。もう一つの現実、別世界……そこからやって来た異世界の住人、異世界人」

 頭へ響く声。登場に際した閃光。それがルルフェの知り得る魔法の類ではなかった。しかも、その神秘的な容姿も含めて次郎は異質だ。となれば、無から現れ た次郎が何処か別の所からやって来た人間だと捉えても、強ち見当違いという訳でもない。現実離れした話ではあるが、ルルフェは次郎が嘘をついているとはと ても思えなかった。

「異世界人、ですか。本当に夢みたいな話ですね」
「そうだね。でも、理由はどうあれここはちゃんとした現実だよ。まっ、どうしても信じられないなら、またつねってあげてもいいけど」
「え、遠慮しておきます」

 悪戯っぽく笑って見せるルルフェに、先のトラウマが蘇って本気で拒絶する次郎。それでも露骨に顔を引き攣らせる次郎に面白半分で詰め寄ろうとするルルフェだったが、直後、再び胸に走る鋭い痛みに思わず顔を歪めた。

「ッ……」
「大丈夫ですか……?」

 それまでと一変して険しい表情をするルルフェに身を乗り出した次郎は、力無くベッドに伏すルルフェを沈痛な面持ちで見つめていた。

「……うん。こんな傷、さくっと治してみせる」

 その後、ルルフェは傷口に手をかざしながら静かに目を閉じる。それは傷口を手で押さえて痛がっているという訳ではなく、僅かに動く口元から何かのまじないのようだと次郎は感じた。口元は動いてはいるものの声は出ておらず、そんなルルフェの行動に不思議そうな顔でその光景を見守っていた次郎であったが、傷口を中心に浮かび上がる魔方陣らしきものと次第に蒼白く発光し始めるルルフェの手の平に目を丸くした。

 深く集中している様子のルルフェに声こそ掛けずに居た次郎だが、優しくルルフェの傷を照らす発光現象が絶頂を迎えたまま暫しその状態で続き、やがて幻想的な光が徐々に収束していくと同時に我に返るのだった。

「今のは?」
「簡単な治癒魔法だよ。私の力量じゃ完治は無理だけど、多少歩けるぐらいにはなったと思う」

 ゆっくりと体を起こし、ベッドから降りると部屋の中を歩き始めたルルフェに再度目を丸くする次郎。それと、“治癒魔法”という聞き慣れない単語に首を傾げた。

「あの……もしかして、魔法ってあの魔法ですか?」
「うん。他に何かあるの?」

 さも当然だと言わんばかりにあっさりと魔法の存在を肯定してしまうルルフェに次郎は頭を抱える。
 次郎の居た世界でも、全てと言って良い程の人間が魔法などという力を扱えなかったのは言うまでもない。それはあくまで空想上のモノであり、一般人が何食わぬ顔で使えて良いものではない筈なのだ。
 次郎の出会ったルルフェという少女がこの世界で魔法の使える希少な存在だという可能性も否めないが、ふと視界に入った書棚に何となく嫌な予感が頭を過る次郎。

「これってもしかして……」

 次郎が書棚から手に取ったのは、“いかにも”な雰囲気を醸し出す本。表題こそ見慣れない文字で読むことは出来なかったが、表紙には次郎の世界でも魔法関 連のおとぎ話でお目に掛かる機会が多い、五芒星の記号が記されていたのだ。もしやと思い考え込む次郎であったが、次郎の居た世界同様そういった夢物語だと 当たりをつけてルルフェに表題を読んでもらう。

「“ペペンでも分かる魔法入門書”だね」
「ぺ、ペペンって何ですか……」

 謎の存在ペペンは置いておいて、あの書物が“入門書”と謳っているところに問題があった。魔法を記した書物が大衆向けに出版されているのである。事実、ルルフェが特殊な人間だという線が消えてしまったのだ。
 迷い込んだ異世界でよもやそんなモノが存在しているとは思いもよらなかった次郎は、頭を抱えたままただ唸るのだった。






 一通り部屋中を歩き回ったルルフェがベッドに腰掛けると、手に籠を持ったふくよかな女がルルフェ宅の扉を開いた。

「あらまぁ、もう良くなったのかい?」
「あ、モルターおばさん」

 陽気な声と共に少し驚いた様子のモルターであったが、それも一時的なもので、すぐに納得のいった表情へと変わった。

「さすがはレイラント魔法学園の生徒だねぇ。あんな大きな傷も魔法で治せるのかい?」
「うん。完治にはまだ時間はかかりそうだけど、このまま治癒魔法を使ってればあと四、五日で全快しそうだよ」

 便利だねぇ、とモルターは心底安堵する。
 彼女は身寄りの無いルルフェに何かと世話を焼いてくれる保護者のような存在だった。このメイネナンという村では、村人の少なさから年長者が年少者の面倒 を見るのが当たり前の光景になっていた。ただ近年では若者の数も減り、成人していないのはルルフェともう一人の男の子、アンリぐらいのものだ。
 モルターはそんな二人の面倒を良く見ていたが、長期休暇にしか帰って来れないルルフェが久々に村に居るのが嬉しくて堪らなかった。だから、重傷を負ったルルフェを見た時は気を失いそうになった程である。

「それにしても、あんたには礼を言わないとねぇ」

 そんな二人のやり取りを静かに眺めていた次郎へと視線を向けたモルターは、軽く頭を下げて礼を言った。

「いえ……」

 その傷は自分を庇って出来たモノだ、と打ち明けようとした次郎だったが、咄嗟にルルフェが目で制して口に出来ずにいた。
 だが、僅かなシコリを残しつつも乾いた笑いをする次郎をモルターは大して気にする様子も無く、胸に秘めた好奇心で次郎のことを話し始めるのだった。

「あんたには本当に驚いたよ。変な奴がルルフェを抱えて村中を走り回ってる聞いて飛んで帰ってみれば本当に変な奴だったんだからねぇ」
「あははは……」

 盗賊襲撃を受けて近くの村まで避難することにしたメイネナン村の村人達。その際、ルルフェが先手を打って盗賊達の注意を引き付けていたのだが、数は少な いものの老齢で病を患っていた村長も居たことから村人達の足は速まらず、体力的なものも相まって近くに在った洞窟に身を隠すことにしたのだった。
 そんな折、偵察がてらに村人の一人が村へ戻ると、ルルフェを抱えながら助けを求める見慣れぬ少年と出会ったのだ。

「あんたは旅の人かい? 随分と変わった風貌だけど」
「えぇ、まぁ……」

 好奇心そのままに次郎を舐めるように見るモルターに、少し仰け反る次郎は真実を明かさずに言葉を濁す。
 次郎とルルフェ二人が行った脳内会話や、次郎の登場を目の当たりにした人間ならばある程度理解も出来るかもしれないが、ただ珍しい外見をしているだけで 『私は異世界からやって来ました』と言われても信じる方がどうかしている。当人であるルルフェですら次郎の発言に困惑したのだ。何も知らないモルターに話 せば、次郎が頭のおかしい人間だというレッテルを貼られて終いである。

「心の底から礼を言わせてもらうよ。ありがとう。何も無い村だけど、是非ゆっくりしていっておくれ」

 その後に豪快な笑いをしながら次郎の背中を数回叩き、咽る次郎を横目にモルターはルルフェ宅を後にしたのだった。
 気さくな人という印象と共に凄まじい腕力を持ち合わせた女の人だと、ヒリヒリ痛む背中を摩りながらモルターを見送る次郎であった。






 夜。
 行く宛の無い次郎はルルフェの家に泊まることになった。年頃の二人が同じ屋根の下で夜を明かすの何かと問題アリだが、今の次郎はそれどころではなかった。
 ほんの数時間前までは何時ものように何時もの生活を送っていた筈なのに、今は見知らぬ異世界に居るのだ。此方の世界に来たのも含め、予想もし得ない運命の悪戯に落ち着いて考え事をする余裕も無かった次郎は、一人、外で星空を眺めながら物思いに耽っていた。

「これからどうなるのかな……」

 ポツリ、先行きを憂いて溢す。
 出来ることなら帰りたい、というのが次郎の本音だった。ルルフェに重傷を負わせてしまったものの傷も魔法で治るとのことだし、“ルルフェ救助”に成功し た今、本来の目的は達成されたのである。もし此処が夢ならば後は目覚めを待つだけなのだが、不幸にも此処は現実。しかも、次郎の元居た世界とは異なった世 界なのだ。
 あまりに突飛な話に混乱する頭を必死に整理しながら、ならば自分は今後どうすれば良いのか思案する次郎。

 しかし、不意にその隣に腰掛ける人物に次郎の思考は中断した。

「ああ、ルルフェさん」

 歩けるようになったとはいえ、座る動作も傷に障るようで、ゆっくりとその場に腰を下ろすルルフェ。それを複雑な面持ちで見守る次郎であったが、ルルフェと視線が合うと気まずそうに逸らした。

「ルルフェでいいよ」
「え?」
「あと、敬語で話すのも止めてね。私達、年も近いみたいだし」

 逸らしていた視線を今一度ルルフェに合わせると、ルルフェは優しく微笑んでいた。星空の下、結い上げていた髪を下ろしたルルフェは魅力的で愛らしく、次郎の鼓動は高鳴るばかりだが、次郎がルルフェに対して砕けた話し方をしないのには理由が在った。
 ただ単に、次郎は人見知りをする傾向があるというのも一つの理由ではあるが、それ以上に言葉をある程度丁寧に扱うことで他人との距離を作っているのだ。それは次郎の抱えるトラウマが所以なのだが、そのトラウマについては、後に。

「あ、その……すいません。今はまだ……」

 トラウマの発端となった部分をルルフェに見せる機会があれば、と次郎は心の中で続ける。
 それでも、顔を伏せた次郎の様子を察したルルフェは微笑みを崩すことなく話題を変えた。

「そっか……。ジローはここで何してたの?」

 ルルフェの暮らす村は、村の趣や住んでいる人の容姿も含めて次郎の世界で言う所の中世欧州に近かった。
 今晩はどうやら晴天のようで星々が輝き照らしてはいるが、外灯一つ無いこの村は曇天の日には闇に覆われる。
 そんな中、黒髪を夜風に靡かせて星空を見上げる次郎を暫し眺めていたルルフェは、その表情が神妙なものになっていくのを見逃さなかった。

「少し、考え事をしていました」
「どんな?」
「僕は元居た所に帰れるのかな、って」

 憂いを帯びた次郎の顔にルルフェの微笑みは消えていた。
 見知らぬ土地、世界。知り合いと呼べる人間の居ない所で時間を過ごすのがどれだけ不安か、ルルフェは僅かながらではあるものの次郎から感じ取っていた。
 星空を見上げる次郎の瞳に映るのは遥か遠い郷。望郷を胸にどんな葛藤が繰り広げられているのかなど、ルルフェも知り得ることは出来ない。
 この世に世界が二つ以上も存在している話など耳にしたことも無いルルフェは、次郎が帰郷する手立てを思案してみるが、皆目見当がつかなった。

「ルルフェさん。魔法で世界を渡ることは出来ないんですか?」
「……ごめんね」

 次郎は僅かな期待と共に訊ねてみるが、ルルフェは首を横に振った。より一層沈み込む次郎は成す術無く項垂れて沈黙する。
 そんな次郎を目の当たりにし、自分の無力感に苛まれて心を締めつけられるルルフェもつられて沈黙するのだった。

「……とにかく、この長期休暇が明けたらジローも一緒に学園まで行こう。まだ私の知らない魔法もあるかもしれないしね」
「そう、ですね……ありがとうございます」

 諦めるにはまだまだ早い。現時点で帰る手段が無いと確定している訳ではないのだ。暫くはこの世界に滞在することになりそうだが、いずれは帰れる――そう信じて次郎はルルフェに見えないよう、小さく拳を握った。






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