第01話 コンプレックスと始まり





 相変わらず向けられる奇異の視線。“普通”とは僅かに異なった何かを感じた人は、無意識の内にその違和感の答えを探して視線をこちらへ向ける。
 ほぼ反射に近いと言っても差し障りのないこの行動だが、物珍しそうに様子を窺われている側の人間にとっては、望んでもいないのに見世物になった気がし て、とてもじゃないが良い気分とは言い難い。もちろん、全ての人がこの無遠慮な視線をぶつけてくる訳じゃないし、俺自身が自意識過剰なだけなのかもしれな い。
 小さい頃からこんな状態なのだから、良い加減慣れてしまった部分もある。正直、普段の何気ない生活の中では気にならなくなったと言ってもいいし、それに加えて自分で言うのも何だが、俺の頭は中々に愉快な構造をしているらしく、今日まで結構楽しく過ごせている。

 だけど。

 その要因となっている部分が自分のコンプレックスに大きく関連している――それが、面白くない。
 今更ウジウジ言っても仕方の無いことだと理解しつつも、この“顔”の所為で謂われも無い罵りを受けた過去を簡単に忘れられそうにないのもまた、事実。

 他人よりも女の子に近い顔立ちをしていて何が悪い?
 それで俺が何か迷惑を掛けたのか?

 ――自分から望んでこの顔に生まれて来た訳じゃないんだから勘弁して……。

 そんな台詞を昔に吐いた自分を殴り飛ばしてやりたい。それが、父さんと母さんをどれだけ悲しませるのか分からないはずもない。



「フフ、昔の俺は馬鹿だったんだ……」

 幼き頃の自分を思い返し、クールさと大人の雰囲気を醸し出しながら小さな溜息を吐く。この数年で大きく成長したのだ、俺は。
 いわゆる、イジメというやつは本人が気にしていなくても、その大小に関わらず心の中に傷を残しているのだと思う。特に、心が未発達な時期においてのイジメというやつは性質が悪い。
 それが友人の何気ない言動だったり、とある夜に見た追憶の夢によって意図も簡単に開いてしまう。きっかけは些細なこと。されど、一度開いた傷を再び閉じるには、途方も無い時間か、大きな転機が必要になる。

 そして、俺の場合は。

「ふむ、安心しろ。現在進行形でお前は馬鹿継続中だ。おめでとう」
「あ、どうも、ありがとう――ってオイ! 誰が馬鹿継続中だ。この天才に向かって失礼だろ」
「ほほう、お前如きが天才を名乗るか。それも、この俺を前に。恥知らずも甚だしいものだ」
「ぬ、ぬぅ……」

 目の前の男子、藍田 修(あいだ しゅう)が不敵に笑うのと同時に、俺は言葉を失った。

 道行く人々の多くが、俺とはまた異なった視線を修へと浴びせる。しかも、その大半が女性ばかり。180を少し越える長身に加えてサラサラの髪と甘いマス ク。さらには少し色白であることから、一言で形容するならば王子様といったところだ。15歳と、まだ幼さの残る年頃ではあるが、どこか達観している雰囲気 のある素敵王子様は不思議と同年代よりも大人びた印象を受ける。
 朝日のスポットライトの下、もしハニかんでもみようものなら王子様に憧れを抱く女性は卒倒必至。性格に少々難ありだが、困った人を放っておけないボランティア精神も持ち合わせていやがる。
 それだけならまだいい。これだけのルックスを持っていながら“それだけ”というのも変な気はするが、今は置いておき俺が言いたいこと。それは、中学卒業 時に成績優秀者として表彰されたことと、所属していた部活の最後の大会で県下ベスト4まで勝ち進んだことである。後者は団体競技なのだが、主将であった修 の活躍は一目瞭然であり、その容姿もあってか雑誌に載せられた上に、そのプレイは高い評価を受けていた。即ち、王子様は文武両道でもあるのだ。

 と、まぁ、ここまで完璧に仕上がってしまったのが、世の男子諸君の宿敵ともいえる藍田 修なのだ。
 そして、俺はこいつに大きな転機をもらった、と。
 大分、というより端折過ぎて何がどうなったのか理解して頂けないかもしれないが、こいつと出会ったことによって、俺の世界が変わった。ただそれだけである。
 今もこうして歩いていると、俺を視界に入れるまでも無く、修が注目の的になってくれる。女性から常に熱い視線を浴びるその光景は、見ていて殺意を覚えな いことも無いのだが、こんなものは慣れだ。拳をぐっと握り締めて心の中で一言『いてこますぞ』と呟いて終了。……フフ、負け犬根性バンザイ。






「凄い人だなオイ……さすがは栄稜」
「それにしても、今だに信じられん。お前がよく此処に入れたものだ」
「ですよねー……」

 私立栄稜高校。県下でも指折りの進学校……という訳ではなく、偏差値を見ても平凡から少し毛が生えた程度。これだけ修が感心しているのは、ただ単に俺の学力が致命的なだけで、修に関しては入試前日に軽く勉強をした程度だと抜かしていた。
 素敵王子様ほどの学力ならば県下トップの高校でも難なく突破出来そうなものだが、修曰く、大学入試で実力を発揮すれば何の問題も無いそうだ。
 こっちは死に物狂いでようやく栄稜への入学を果たしたというのに、修はぬるま湯に浸かっていたいとの理由でこの高校を選んだらしい。まったくもって腹立たしい。

「ん……? なるほど。あれがクラス分けということか」

 修が指す方向にあったのは、新入生らしき生徒でごった返す掲示板。その光景を目にして近付くことを躊躇ったが、それに反して修はさっさと掲示板へと向かって行った。

「……おぉ。王子様のお通りって訳ね」

 掲示板に群がる女子生徒の一人が、後ろから近付く修の存在に気付いて固まったのも数瞬の間だけ。頬を染めながら恥ずかしそうに修へと道を譲った。
 当然それは一人だけに留まらず、連鎖して次々と修へと道を譲る顔の紅い女子生徒達。そして、それに圧倒されて事態のイマイチ呑み込めていない男子生徒達も何となしに道を譲る。まさかのリアルモーゼの十戒だ。
 俺はその開いた道を軽く会釈しながら修に続いて進んで行くのだが、時折俺を女子と勘違いした女子生徒達が尋常じゃない殺気の籠った眼でこちらを睨んでいた。
 そんな視線に晒されて短く『ひっ!』と悲鳴を上げながらも、俺が男子の制服を身に纏っているのに気付くやいなや、元の恍惚とした表情に戻して修の後ろ姿を追っていた。

「どうした? 随分と疲れた顔をしているが」
「……絶対寿命縮んだ。何年か絶対縮んだ」
「……? まぁ、いい。それよりも見ろ。クラス分けだ」

 気だるさを感じつつも、修に促されて掲示板へと目をやる。知らない名前がずらずらと並び、これだけの数があれば自分の名前を探すのも一苦労だ。
 A組、B組、と見落としの無いように順番に探していき、C組の先頭に藍田 修の文字を確認する。
 何となく、このクラスだけは勘弁して欲しいなー、なんて思いながら引き続き自分の名前を探すのだが、その願いも虚しく同じC組に俺の名前である、加住 涼(かすみ りょう)の文字を発見。
 呆然とする俺の隣で、修が不敵に笑みを浮かべていた。

「ほう、奇遇だな。また宜しく頼むぞ、涼」
「……へいへい」

 ほんの少しだけ、唯一の知り合いである修が同じクラスにいるのは心強い。
 しかし、修が“また”と言った通り、俺達2人は小学校で知り合ってからというもの毎年同じクラス。この無駄に凄い偶然を別のところで活かせればどれだけ幸せになれただろうか。
 まぁ、素敵王子様が同じクラスにいれば自然と注目はそちらへと向くわけで、俺の容姿に興味を示す風変わりな連中がいなくなるのは正直嬉しい。折角だから、今年も隠れ蓑(みの)に使わせてもらおう。

「今年で何回目だろなー、お前と同じクラスになるの――っていないし!」

 これっぽちも感慨深く無い思い出の数々を思い出しながら、隣にいるはずの修の方へと向くが、肝心の本人が忽然と姿を消していて思わず周囲を見渡した。
 いつの間にか周りは来た時と同じように生徒で溢れ、その場では身動きが取り辛いほどだ。

 体を隙間へと滑らせながら人の垣根を抜けて何とか離脱に成功した俺は、消えた修を探すべく、再び辺りを見渡す。

「……あ、いた」

 その視線の先には、クラス分けを確認しようとする集団とはまた別集団の中心で、顎に手を当てながら何やらお悩みの王子様が突っ立っていた。
 しかも、どうやらその別集団は全員が女子らしく、中心にいる修が羨ましくて仕方がない。

「ふむ……む? おぉ、涼。すまんがモテる男は忙しいのだ。先に教室へ行ってくれて構わんぞ」

 嫌味? 嫌味っすか!
 周りを取り囲んでいる女子の方々を虜にするあの爽やかな笑みは詐欺としか言い様がない。
 俺はその悪意を確かに感じ取りながら、大袈裟に地団駄を踏んでぺぺっと唾を吐いてから教室へと向かうのだった。






「あんな奴、もう友達でもなんでもないやいっ」

 ふんふんっと鼻を鳴らしながら教室へと歩みを進める。どうやら1年生の教室は1階らしく、昇降口から廊下に出て手前から順番にA組、B組、C組――と教室が並んでいる。
 1−Cは昇降口から3番目に近いということもあり、思いの外すぐに辿り着くことが出来た。
 緊張と共に教室の扉を開くと、数人がそれに反応してこちらを見たが、興味を失ったかのようにすぐ視線を逸らした。

 どこに座ってよいの分からず、辺りをキョロキョロと見渡していたが、よく見るとご丁寧なことに机の右端にそれぞれ出席番号と名前の書かれた紙が張られており、俺はそれを頼りに自分の席を見つけてさっさと席に着いた。
 窓際の1番後ろ。春の木漏れ日が差し込むこの席は当たりに違いない。ん〜グッ。

「ふっふっふ〜ん〜〜」

 陽気に誘われて、何の恥じらいもなく下手くそな鼻歌が自然と零れる。あぁ、もう、気持ち良いから伸びまでしちゃう! はい、せーの!

「ぶわっ!」

 勢い良く両腕を天井に向けて突き上げながら大きな伸びをする。
 突然俺がそんな行動に出た為か、隣の住人が驚いて筆箱を落としていたが、ごめんねーと心の中で謝罪してから伸びに欠伸をプラス。
 悪びれる様子を感じられないかもしれないが、一応は反省しているつもりだ。

「ふわぁ〜〜ぁ」

 人目もはばからず盛大な欠伸をひとつ。
 しかし、その欠伸の最中に違和感を感じた。  

 隣の席から注がれる何とも言えない視線。俺は正面を向いているが、それでも気付いてしまう。隣の住人は間違いなくこっちを見ているのだ。それもチラチラ見るのではなく、凝視だ。
 あれか、お前の所為で筆箱が落ちたのに謝罪も無いのはどういう了見だこの野郎ってか。……ごめんなさい。せめてもの償いとして今から静かにするからそれで許して下さいお願いします。

「…………」
「…………」

「…………」
「…………」

「…………」
「…………」

 ……あなたも中々しつこいですね。
 まさかとは思うが、もしかして俺に一目惚れ!? ……ないな。あぁ、ない。しかも、もし隣が男子だったらそれこそ危険過ぎる。
 依然として凝視を止めようとしない隣の住人の確かな嫌がらせに、どんどん委縮して気が気でない。
 その場の空気に耐えきれなくなった俺は、なけなしの勇気を振り絞って意を決して話しかけてみることにした。
 
「な……何?」

 自分でも笑えるぐらい小さな声しか出なかった。そして、振り向いた先にいたのは、これまたとんでもなく可愛らしい女子。
 一心不乱にこちらを見てくれるのは嬉しいが、それはそれで何だか居心地が悪い。
 少しずつ変化していく女子の表情を見つつ、相手の出方を窺った。

「あっ!」
「あっ!」

 相手が突然声を上げたことに驚いて、何となく釣られて思わずオウム返しをする間抜けな俺。
 小心者の俺としては、びっくりするからあまり驚かさないで欲しいと思う今日この頃。

「あ、あの」

 緊張した面持ちで口を開いた女子に、何となく身構える。別にとって喰われる訳でもないのだから、もっとリラックスして余裕のある態度で振る舞いたかったのだが、相手の緊張がこちらにまで伝わって来てついついその雰囲気に呑まれてしまった。

「なっ 名前は……えと、その……何、ですか……?」

 これだけ緊張しているのだから一瞬何を言われるのかとドキドキしたが、聞いてみれば何てことのない、ただのコミュニケーションだった。
 同じクラスの上に、隣の席になったんだから仲良くしよー、っていう感じかな? 同感だ。この緊張は彼女が人見知りする性格か何かだからだろう。うん、納得。そうと分かればこちらももっとフレンドリーに接することが出来そうだ。

「加住、加住 涼だよ、よろしく。見た目はこんなのだけど男だよ、たぶん。それで君は?」

「加住、涼……くん。涼、くん…………そっか」

 何ともユーモアに欠ける手抜きの自己紹介だったが、何度か俺の名前を反芻した後、どこか嬉しそうな彼女は柔和な笑みを浮かべた。
 それを見て、はて? と首を傾げていた俺だったが、そんな俺の様子に気付いた彼女が今度は照れ臭そうに微笑んだ。

「私は高西 桃(たかにし もも)です。よろしくお願いします。えと……見た目はこんなのですけど、一応女の子です?」

 聞かれても困ります! というか、あなたはどこからどう見ても女の子だから! とびっきり可愛いから!
 どこか抜けていそうな雰囲気を醸し出している桃ちゃんは、少し茶色掛かったミディアムヘアで小さな顔のぱっちり二重さん。ぷりっぷりの桜色の唇と透き通 るような白い肌はシミなんてもが見つからず、綺麗で、触ったらきっと吸いつくような感じなんだろうなー、なんて密かに思ってしまう。俺の主観だけでなく、 客観的に見ても可愛い言える自信がある。

「ハハ、桃ちゃん面白いな。まぁ、隣になったのも何かの縁だから、仲良くしような」
「うんっ。ちゃんと仲良くしてくださいね?」

 もちろん、と余裕ぶって笑う俺が、目の前の女子に内心デレデレしていたのはここだけの話だ。





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